魚見桜をあとにして次に向かったのは、次の案内板・看板のうちのどこでしょう?(笑)
答えは「人間魚雷回天基地跡」
日出町大神に人間魚雷「回天」の訓練基地跡があり、昨年の5月に整備され公園化されてると知り
mamが今年に入り「行ってみたいな~」と思っていた場所なのだ。
大神基地跡には、地下格納壕、魚雷調整場、変電所、浄水場プール等の跡が残っていて
旧魚雷調整場横に回天の実物大レプリカもあるのよ。
回天・・・知らない人のために簡単に説明すると
太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、最初の特攻兵器
脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。wikiより一部抜粋
もっと詳しく知りたい人は自分で調べてね~。
ってさ~、人間魚雷よ、人間魚雷!
信じられる?
平和な時代に生まれ育ち、戦争を知らない世代としては正気の沙汰と思えない代物よね。
まぁ、戦争自体が正気の沙汰じゃないけどさ。
当時はお国のためと信じて疑わず、若干二十歳前後の若者が
こういったものに乗り、命を懸けて出撃していったわけでしょ。
生きて帰ってこれないとわかっていながら、訓練し、命令が下ればここから乗り込むなんて・・・
どんな気持ちでここから乗り込んだのか、それを思うと切なくて涙が出てきそうになった。
このレプリカの横にあるのが水漏れ等を調べるために「回天」を沈めた魚雷調整プール。
公園には上のレプリカと調整プール、水洗トイレ、東屋、駐車場(普通車6台、大型バス2台)が整備され、
そこを拠点として公園周りにある他の「戦争遺構」を見て回ることが出来る。
もちろん、見てきたよ。
こちらは「回天格納庫」
こっちには回天1機が
こっちには8機格納できたんですって。
こちらは「酸素圧縮ポンプ室跡」
回天に搭載する圧縮酸素を製造するポンプを設置していたとされてるって。
内部に見えるコンクリートの塊のようなものも構築物だって。
次はちょっと上り坂を上がって回天神社へ
回天神社には回天に関わって殉職した戦没者の霊1073柱が祀ってあり、
回天の部品「操舵機」「発停装置」「燃焼器推進軸受」が御神器となってるんだって。
この神社は、当初大神突撃隊庁舎内に祀られてたけど
終戦後の昭和21年 (1946)に元隊員の懇願により住吉神社の境内に遷座されたものだそうな。
現在の神殿は平成13年(2001)に新築されたもので、その横に回天の3分の1模型と
海中より引き上げられた九三式魚雷後部が展示してあった。
回天に関する説明を読めば読むほど切なくなり、神殿にお参りした際にはまたしても涙。
テルルと2人、と~っても切ない気分でここを後にしたよ。
戦争を知らない世代なので、当時を生きてきた人達と同じ気持ちにはなれないけど
尊い犠牲のもとにある今の平和をありがたく思った。
平和、大事にしなきゃね。
ここ、来てよかった。